【2007年4月15日(日)】 東池袋大勝軒@与次郎店(鹿児島市) その5
もりそば
大勝軒@鹿児島市22

鹿児島巡り2007 の続き。

くろいわラーメン・本店@東千石町(鹿児島市)で懐かしいラーメンを味わった後ケパサさんに調査の上、メールで紹介して頂いた東池袋大勝軒@与次郎店(鹿児島市)へ。

東池袋大勝軒@本店というとラーメン業界では大御所御主人のひとりである山岸一雄さんのお店で、近くの超高層サンシャイン60とは対照的な鄙びた場所にあった。一旦2007年3月20日に惜しまれつつ区画整理を機に閉店。最期の一杯を味わおうと集まった大行列を撮す報道ヘリまで飛び、九州にまでその模様が伝わってきたほど異例なニュースとなった。現在、近くに復活してますけどねー

私が東池袋大勝軒@本店を訪問したのは2001年10月8日。既に体調が思わしくなかった御本人・山岸さんが最初の二十杯だけは御自身が作るということだったので、朝九時前から並んで五人目に。当時でも十時を過ぎるころには店を取り囲むような大行列となり、先頭付近に居た私には最後尾が見えなかった。山岸さん御本人がラーメンを作っている姿を見たときはドキドキしたなぁ。有り難いことに少し言葉を交わさせて頂いた。

しかし、この日は丁度危惧されていたアフガニスタンに空爆が開始されてしまった日で、何とも言えない葛藤があった。朝早くからラーメン店に並んでいるという平和ボケしたような行為との落差にもエラク戸惑ったことを記憶している。

恒例となっている常連客達がフライングで店先で食べている姿を横目に待ち続ける。このお店を支えているのはスタッフはモチロン、昔から通い詰めてきた常連客達でもある。たまたま大勝軒は観光客まで押し掛けるような日本有数の超有名店になってしまったが、ある意味ちゃんと昔からのお客を大切にしていた。常連客達もそれなりに気を遣い、店内では食べてはいなかったしね。

大勝軒@東池袋で修行したお店でしっかり味を受け継いでいると言われるのは麺屋ごとう@西池袋2001年10月6日訪問)や滝野川大勝軒@北区(一風堂招待イベント2003年8月19日訪問)。他の大勝軒系で食べたのは東池袋大勝軒@鹿児島市で二度(2007年8月4日、2007年4月15日)と、福岡市で一時営業していた大勝軒@西新で五度2003年07月22日、2003年02月17日、2002年12月08日、2002年12月01日、2002年12月01日)。

関東には関係店が溢れるほどあるものの、現在福岡県には現在存在しない大勝軒系のラーメン店。福岡市では2002年末に西新にて一度は開店したものの、約半年という短期閉店が今尚影響しているかのような状況だ。個人店で開店するにはリスクが高過ぎるので、先ずはラースタ@博多区に入ってくれないかなー


天文館のアーケード繁華街をぶらり。流石に鹿児島のラーメンを四杯食べると満腹なのねーん^^ 鹿児島のラーメンは九州の中では価格設定が高く、その分野菜等が盛られて量多めなのだ。書店(ジュンク堂)に立ち寄り、鹿児島のラーメン本を入手した。
天文館20

一旦車を停めた山之口町に戻り、東池袋大勝軒@与次郎店へ移動開始。2001年にもかごしま熱帯植物園付近へ桜島を眺めに来たことがあっただけに、街並がとてもかしい。前方に桜島とその噴煙が見えてきた。
大勝軒@鹿児島市10

夕暮れ前にゆっくり眺めた桜島の全貌。ここから眺めると錦江湾に浮かんでいるように見える。小学生の頃、鹿児島を初めて家族旅行で訪れた際にも感じた「鹿児島に来たなー」っと思える象徴的な景色ですネ。
桜島10
桜島11

先ずは東池袋 大勝軒@与次郎店へ。店頭には目立つ巨大な看板が掲げられていた。
大勝軒@鹿児島市11

先客三名。食券機で「もりそば」を購入し、カウンター席に着いた。

店頭から見えるよう誇らしげに設置されていた製麺機。
大勝軒@鹿児島市31


つけ汁は甘み強めの甘酸っぱい味。独特の甘さが後味にしっかり残る。獣と野菜、そして魚介出汁がそこそこ効いたつけ汁で、酸味もある。全体的に出汁自体は軽めで、脂はやや多めだった印象。気持ちピリ辛味の仕上がりだ。今風のどろんとした濃厚出汁と魚粉たっぷり効かせたガツンとくるつけ麺とは味わいが異なり、プロトタイプを思わせる軽い味わい。麺は丸ではなく、少し角のあるむちっとした中太麺。

東池袋大勝軒@本店自体が歴史を味わうような味だったので^^ 鹿児島の大勝軒がエラク劣るといった印象はない。味の再現率はさておき、以前西新(福岡市)に開店した大勝軒が短期間で閉店しまった以降、今尚福岡市では味わえない大勝軒の味。今後の東池袋大勝軒@与次郎店の更なる進化を期待している。
大勝軒@鹿児島市23
大勝軒@鹿児島市25
大勝軒@鹿児島市26
東池袋大勝軒@与次郎店 鹿児島市与次郎1-8-27  もりそば 650円