【2006年2月25日(土)】 柞原(ゆすはら)八幡宮@大分市
狛犬探訪 その2
柞原(ゆすはら)八幡宮・狛犬探訪の続き。
南大門を抜け、上へと歩く。暫く進み、振り返ると人気のない実に静寂な空間が広がる。音といえば時折野鳥が飛び立つ音が聞こえるくらい。
ふと自分がココに居ることがとても不思議な感覚に襲われる。ワン子しぇんしぇいと知り合わなかったら訪問することはまず無かっただろうなぁ。。その気になれば身近にこんな世界があるんだわ。
途中、社殿へ向かう道と、閉ざされた「楼門」へと続く道の二股に分かれていた。
梅や水仙の花がひっそりと咲く。
門を潜ると変わった社殿にやや戸惑う。本殿は八幡造り。昨年(2005.8.28)訪問した宇佐神宮も確かこんな感じだったよなぁ。
柞原八幡宮のサイトに寄ると、
『創建 天長四年(827年)延暦寺の名僧・金亀和尚が宇佐神宮の参籠にて神告を蒙り、柞原山に勧請したことを、当宮の創建の起源とする。』
『本殿は壮麗な八幡造りであり、これに申殿、拝殿楼門と続き東西宝殿、宝物殿などが建つ。参道途中には彫刻の施された南大門がある。』 とのこと。
因みにワン子しぇんしぇいの狛犬天国に寄ると、宇佐神宮は『全国に4万とも言われる八幡宮の総本社です。皇位を狙った道鏡の野望を、当社の神託によって退けた逸話はあまりにも有名です。この狛犬は極めて大柄で、まるで熊のような体つきです。風化の具合から明治以前のものと思われますが、細々した彫り込みはせず、大らかな作風です。上宮近くの灯籠群には慶長、元和、寛永など江戸初期の古いものが数多く見られます。』 とのこと。
おみくじ等の売り場には一応照明は灯るも人気はナシ。うーん狛犬のことを聞けないなー(残念)
参拝した後、辺りを見渡すも狛犬は見あたらない。朱塗りされた隙間から覗き込んで狛犬(吽像)を見つけ、カメラを差し込み撮影。
白く、新しめの吽像。中に入れなかったので残念ながら年代等は不明。
回廊・拝殿には沢山の画。
玉取り狛犬(阿像)を同じように撮影。コチラも年代等は見えない。
一旦坂を下り、裏へと回り込んだ形で締め切られている楼門へ。立派な楼門だ。
更になだらかな石段を進むと狛犬を発見。年代は安政三年(1856年)。
日常から離れた空間を十分楽しめた。でも「狛犬」に関しては肩すかしなんですわ^^
柞原(ゆすはら)八幡宮 大分市大字八幡987番地
。
梅や水仙の花がひっそりと咲く。
門を潜ると変わった社殿にやや戸惑う。本殿は八幡造り。昨年(2005.8.28)訪問した宇佐神宮も確かこんな感じだったよなぁ。
柞原八幡宮のサイトに寄ると、
『創建 天長四年(827年)延暦寺の名僧・金亀和尚が宇佐神宮の参籠にて神告を蒙り、柞原山に勧請したことを、当宮の創建の起源とする。』
『本殿は壮麗な八幡造りであり、これに申殿、拝殿楼門と続き東西宝殿、宝物殿などが建つ。参道途中には彫刻の施された南大門がある。』 とのこと。
因みにワン子しぇんしぇいの狛犬天国に寄ると、宇佐神宮は『全国に4万とも言われる八幡宮の総本社です。皇位を狙った道鏡の野望を、当社の神託によって退けた逸話はあまりにも有名です。この狛犬は極めて大柄で、まるで熊のような体つきです。風化の具合から明治以前のものと思われますが、細々した彫り込みはせず、大らかな作風です。上宮近くの灯籠群には慶長、元和、寛永など江戸初期の古いものが数多く見られます。』 とのこと。
おみくじ等の売り場には一応照明は灯るも人気はナシ。うーん狛犬のことを聞けないなー(残念)
参拝した後、辺りを見渡すも狛犬は見あたらない。朱塗りされた隙間から覗き込んで狛犬(吽像)を見つけ、カメラを差し込み撮影。
白く、新しめの吽像。中に入れなかったので残念ながら年代等は不明。
回廊・拝殿には沢山の画。
玉取り狛犬(阿像)を同じように撮影。コチラも年代等は見えない。
一旦坂を下り、裏へと回り込んだ形で締め切られている楼門へ。立派な楼門だ。
更になだらかな石段を進むと狛犬を発見。年代は安政三年(1856年)。
日常から離れた空間を十分楽しめた。でも「狛犬」に関しては肩すかしなんですわ^^
柞原(ゆすはら)八幡宮 大分市大字八幡987番地
。
>ワン子しぇんしぇいと知り合わなかったら訪問することはまず無かっただろうなぁ。。
私も同じくですよ。
狛犬・・・ん”〜っこの奥ゆかしさから想像したら相当古いもんだ!と思ってしまったけど・・。まっ、そういう事もあるさっ!次の狛犬に期待しましょうね〜♪