【2006年9月18日(月)】 具志川城跡@喜屋武(沖縄県・糸満市)
その33(四日目) グスク巡り
【沖縄巡り 四日目】
沖縄は独自の文化を育んで発展。各地に聖地の御嶽(うたき)や城(グスク)が点在する。先ずは喜屋武岬から近い、岬に造られたグスク・具志川城跡(ぐしかわ城跡)へ。
その33(四日目) グスク巡り
【沖縄巡り 四日目】
沖縄は独自の文化を育んで発展。各地に聖地の御嶽(うたき)や城(グスク)が点在する。先ずは喜屋武岬から近い、岬に造られたグスク・具志川城跡(ぐしかわ城跡)へ。
近くに車を停めて木々を抜けると、パーンっと目の前に海が開けた。
岬に多くの石が積まれて伸びる城壁。石質(珊瑚性石灰岩)を含め、やはり本土の城壁とは趣が異なる印象。具志川城は絶壁となった岬の形状を活かして造られた城(グスク)。観光客が多く訪れるような有名なグスクとは異なり、整備が遅れていて荒れた感じ。よって入場料はなく、訪問者もぱらり。その分、寂しげな本来の雰囲気を感じることができたかも。栄枯盛衰を感じつつ、城壁から暫し海を眺めた。
石碑によると、『史跡 具志川城跡 昭和47年5月15日 国指定 この城は、断崖の付け根のところに城門があり、そこから一段下がって二の丸、さらに一段下がって本丸が海に突き出ています。石垣は珊瑚性石灰岩の野面積みですが、門の部分には、切石を用いた痕跡が残っています。城の規模は、長さが東西82〜3メートル、南北の巾は二の丸で33メートル、本丸で16〜7メートルです。二の丸には穴(俗に「火吹き穴」)があって海に通じています。■久米島の伝説によれば、この城は久米島の具志川城主真金声(まかねくい)按司が伊敷索(いしきなわ)按司の二男真仁樽(まにくたる)に攻められて落城し、島を脱出して本島に逃れ、故郷と同じ名の具志川城を築いたといわれます。その真偽は不明ですが双方の立地や規模、構造はよく似ています。 沖縄県教育委員会 昭和53年3月31日』とのこと。
具志川城跡@喜屋武(沖縄県・糸満市)
岬に多くの石が積まれて伸びる城壁。石質(珊瑚性石灰岩)を含め、やはり本土の城壁とは趣が異なる印象。具志川城は絶壁となった岬の形状を活かして造られた城(グスク)。観光客が多く訪れるような有名なグスクとは異なり、整備が遅れていて荒れた感じ。よって入場料はなく、訪問者もぱらり。その分、寂しげな本来の雰囲気を感じることができたかも。栄枯盛衰を感じつつ、城壁から暫し海を眺めた。
石碑によると、『史跡 具志川城跡 昭和47年5月15日 国指定 この城は、断崖の付け根のところに城門があり、そこから一段下がって二の丸、さらに一段下がって本丸が海に突き出ています。石垣は珊瑚性石灰岩の野面積みですが、門の部分には、切石を用いた痕跡が残っています。城の規模は、長さが東西82〜3メートル、南北の巾は二の丸で33メートル、本丸で16〜7メートルです。二の丸には穴(俗に「火吹き穴」)があって海に通じています。■久米島の伝説によれば、この城は久米島の具志川城主真金声(まかねくい)按司が伊敷索(いしきなわ)按司の二男真仁樽(まにくたる)に攻められて落城し、島を脱出して本島に逃れ、故郷と同じ名の具志川城を築いたといわれます。その真偽は不明ですが双方の立地や規模、構造はよく似ています。 沖縄県教育委員会 昭和53年3月31日』とのこと。
具志川城跡@喜屋武(沖縄県・糸満市)
先日博多うどんに魅せられて 麺を購入できる現地のお店を探していたら こちらのブログを拝見しました
あの独特の麺のもちもちの食感とのどごし、出汁もとてもおいしかったです 讃岐もいいけど博多うどん魅力的です 家庭で食べるだけなのですが麺を販売しておられるお店がありましたら教えていただけたらうれしぃです
よろしくお願いします