【2010年11月21日(日)】 浅草散策(東京都・台東区)
雷門〜浅草寺本堂〜東京スカイツリー
東京行脚三泊四日、二日目の朝。
早朝から浅草へ向かい、雷門や浅草寺本堂を観光。
その後建設中の東京スカイツリーの真下までてくてく街を歩く。
浅草というと、個人的には古くは天丼の大黒家天麩羅本店@浅草(台東区)や
煮干しが強烈に効いた醤油ラーメンの与ろゐ屋@浅草(台東区)、
そして洋食店のレストラン吾妻@吾妻橋(墨田区)等で楽しんでいた。
雷門や浅草寺本堂を訪れるのはこれで四度目。
今年は東京スカイツリー狙いでの再訪となった。
雷門〜浅草寺本堂〜東京スカイツリー
東京行脚三泊四日、二日目の朝。
早朝から浅草へ向かい、雷門や浅草寺本堂を観光。
その後建設中の東京スカイツリーの真下までてくてく街を歩く。
浅草というと、個人的には古くは天丼の大黒家天麩羅本店@浅草(台東区)や
煮干しが強烈に効いた醤油ラーメンの与ろゐ屋@浅草(台東区)、
そして洋食店のレストラン吾妻@吾妻橋(墨田区)等で楽しんでいた。
雷門や浅草寺本堂を訪れるのはこれで四度目。
今年は東京スカイツリー狙いでの再訪となった。
早朝より五反田から都営浅草線にて浅草駅へ移動。
雷門や浅草寺本堂を訪れるのはこれで四度目。
今年は建設中の東京スカイツリー狙いでの再訪となった。
浅草寺の公式サイトはコチラ。
雷門の対岸から眺めた東京スカイツリー。
雷門に到着。
正式名称は『風雷神門』。
手元の東京下町案内本によると、
『金龍山浅草寺の総門にあたり、942年、現在の駒形付近に創建され、
鎌倉時代に現在の場所に移転。
その後何度か消失と再建を繰り返し、1960年に現在の雷門が再建され、
松下電器産業の松下幸之助氏によるもの。』
とのこと。
公式サイトによる詳細な紹介はコチラ。
浅草寺の参道に店舗が連なる、仲見世通り。
与ろゐ屋@浅草前から眺めた、東京スカイツリー。
●宝蔵門
公式サイトによる詳細な紹介はコチラ。
942年に建立。以来数度の火災により炎上するも、その都度再建され、
昭和20年の戦災後は大谷重工業・ホテルニュー大谷創始者の大谷米太郎氏の寄進により、
復興再建されたとのこと。
●五重塔
公式サイトによる詳細な紹介はコチラ。
●浅草寺本堂(観音堂)
昭和33年に再建された本堂(観音堂)。
公式サイトによる詳細な紹介はコチラ。
参拝し、本堂より眺めた五重塔。
●人形焼
脇道に一本入れば、こんな感じ。
この時間での仲見世通りは、営業していた店舗は僅か。
賑わいを増してきた雷門。
さてさて、遠くに聳える東京スカイツリーまで歩きますかねー
雷門や浅草寺本堂を訪れるのはこれで四度目。
今年は建設中の東京スカイツリー狙いでの再訪となった。
浅草寺の公式サイトはコチラ。
雷門の対岸から眺めた東京スカイツリー。
雷門に到着。
正式名称は『風雷神門』。
手元の東京下町案内本によると、
『金龍山浅草寺の総門にあたり、942年、現在の駒形付近に創建され、
鎌倉時代に現在の場所に移転。
その後何度か消失と再建を繰り返し、1960年に現在の雷門が再建され、
松下電器産業の松下幸之助氏によるもの。』
とのこと。
公式サイトによる詳細な紹介はコチラ。
浅草寺の参道に店舗が連なる、仲見世通り。
与ろゐ屋@浅草前から眺めた、東京スカイツリー。
●宝蔵門
公式サイトによる詳細な紹介はコチラ。
942年に建立。以来数度の火災により炎上するも、その都度再建され、
昭和20年の戦災後は大谷重工業・ホテルニュー大谷創始者の大谷米太郎氏の寄進により、
復興再建されたとのこと。
●五重塔
公式サイトによる詳細な紹介はコチラ。
●浅草寺本堂(観音堂)
昭和33年に再建された本堂(観音堂)。
公式サイトによる詳細な紹介はコチラ。
参拝し、本堂より眺めた五重塔。
●人形焼
脇道に一本入れば、こんな感じ。
この時間での仲見世通りは、営業していた店舗は僅か。
賑わいを増してきた雷門。
さてさて、遠くに聳える東京スカイツリーまで歩きますかねー