とり天のいろいろ、 いこいランチ
大分名物の「とり天の元祖」と云われる老舗のひとつ、
キッチンいこい@鶴崎(大分市)さん。
「高齢により平成26年1月末日をもって閉店します云々」と店内告知されたとのことで、
個人的にはこれが最後のチャンスとなるであろう週末に駆けつけた。
事情を知った方々で店舗の内外に待ち客が多数出る大賑わい。
大分市に住んでいた高校時代は特に意識していなかったけれど、
市内には地元民に親しまれてきた洋食店が結構存在する。
キッチンいこい@大分市さんは、東洋軒@別府市さんやキッチン丸山@大分市さんと共に
とり天の元祖と云われるお店のひとつ。
立地は大分市の中心街から東に位置する工業地帯に近い鶴崎で、
鶴崎駅から近い大通りから一本入ったところ。
事情を知った方々であろう、店舗内外に待ち客が多数出る大賑わいで、
店外に並んだ後に店内でも暫く待った。
店内は結構広くてテーブル席が並ぶ。
接客なさっていた年配の名物女性スタッフさんはお元気そう。
窓際のテーブルに通され、「とり天のいろいろ」と「いこいランチ」をお願いした。
メニュー表には「とり天について」の詳しい説明が書かれてある。
先ずは「とり天のいろいろ」が配膳。
「とり天のいろいろ」は、三種類の熱々とり天(基本、南蛮、ネギソース)が
三個ずつ添えられた満足メニュー。
とり天は表面さっくり、中は肉汁しっとりの仕上がりで、
酢醤油は必要ないくらいの下味付き。
他店とは差別化された俵状の形も特徴。
個人的にはこれが最後の機会となるであろうと思い、
感慨深く味わった。
ごちそうさまでした。
●とり天(基本)
●とり天南蛮(甘酸っぱい)
●とり天ネギソース(ソース風味)
キッチンいこい@鶴崎 大分市中鶴崎1-8-9 とり天いろいろ♪
こちらは「いこいランチ」。
メニュー表に書かれていた通り、豚ロース生姜焼、エビフライ、とり天(基本)、
ハンバーグ、サラダ&ポテト、フルーツ(パイナップル)が盛られた洋食大皿で、
別にとり天用の酢醤油が付いた。
いや〜もう腹一杯であります。
ごちそうさまでした。
キッチンいこい@鶴崎 大分市中鶴崎1-8-9 いこいランチ 1280円♪
【追記】
キッチンいこいさんの閉店情報を伝えていたネット上の記事は以下のとおり。
●朝日新聞DIGITAL 2014年1月28日 03時00分
http://www.asahi.com/articles/ASG1W5RXBG1WTPJB012.html
大分)とり天名物店「キッチンいこい」が閉店
「とり天」の名物店「キッチンいこい」(大分市中鶴崎)が27日、閉店した。
とり天のルーツの一つとされる店「いこい」からのれん分けされた店で、
伝統の味を守ってきた。
店主の野中孝嘉さん(83)の高齢などを理由に45年の歴史に幕を閉じたが、
惜しむ声が上がっている。
とり天は県中部の郷土料理で、発祥の地は大分市説や別府市説がある。
「キッチンいこい」のとり天は若鶏の肉を一口大にして下味をつけ、
天ぷら風に水で溶いた衣をつけて揚げ、酢じょうゆで食べるのが作法。
1969年の開店当時では珍しい揚げ油にサラダ油を使ったサッパリ風味が人気を呼んだ。
野中さんは60年代、大分市府内町にあった「いこい」で
とり天を考案したとされる渡辺好雄さん(故人)に師事。
調理法を身につけた。
69年に鶴崎で店を開いて以来、「大分とり天の味」を守ってきた。
●大分合同新聞oita-press 2014年01月25日 14時51分
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2014_13906295503.html
「キッチンいこい」31日で閉店 大分市
鳥天で知られる大分市中鶴崎の名物店「キッチンいこい」(野中孝嘉店主)が31日で閉店する。
師匠から受け継いだ“大分の味”を守り続けて45年。
からりと揚げて酢じょうゆで食べる鳥天は市の郷土料理として広まった。
「高齢のためなので仕方ない。
多くの常連客や従業員に感謝したい」と野中店主(83)。
店は連日、閉店を知って訪れた客らでにぎわっている。
この鳥天の味忘れない…
「やっぱりおいしい。今日で最後になるのかなあ」「両親から一度は食べるよう言われたので初めて来た」―。
昼時になると家族連れや友人同士、作業着姿の男性たちがひっきりなしに訪れ、熱々の鳥天を味わう。
開店当初から通う河室薫さん(69)=市内徳島=は「衣はからり、中はふわふわ。
家庭ではまねできないおいしさ。食べられなくなるのは残念」と話す。
鳥天のおいしさと並び、ベテラン従業員添島和子さん(65)の明るさも店を支えた。
店内に響く声で客を迎え、心を込めて調理。
「この店でいろんなドラマがあった。感謝してもしきれない」と感慨深げだ。
店は、府内町にあった鳥天のルーツとされる大衆食堂「いこい」から
のれん分けしてもらい、1969年にオープンした。
「工業地帯として鶴崎が栄え始めた頃。
たくさんの商店が軒を連ねていた」と野中店主。内装のデザインなどは、
食堂の経営者で鳥天の作り方を野中店主に教えた渡辺好雄さん(故人)が担当。
当時から変わらない昭和の雰囲気も魅力の一つとなっていた。
閉店を決めたのは高齢に加え、半年ほど前に頸椎(けいつい)を痛めたため。
客の中には閉店を知って東京から帰省して来た人や、県外の子どもに鳥天を冷凍して送る人もおり、
「うれしくて閉店をためらうほど」。
壁に並ぶ色紙やにぎわう店内を眺め、
「いろんな人が鳥天を食べに来てくれた。本当にありがとう」と静かに話した。