【2010年03月21日(日)】 唐招提寺@奈良
奈良巡り
万葉集『あをによし 奈良の京は 咲く花の にほうがごとく 今盛りなり』
三連休を活用して、結果的に四泊五日となる神戸&奈良巡りへの続き。
世界遺産である鑑真和上の美しい唐招提寺@奈良へ参拝。
歩いて唐招提寺へ。
公式サイトの紹介によると、
『唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。
多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、
新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、
天平宝字3年(759年)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。
「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、
講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、
完成したといわれます。
現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、
貴重な伽藍となっています。』とのこと。
南大門。
正面に金堂。
世界遺産の石碑。
国宝の歴史ある金堂。
金堂には全て国宝の中央に大きな本尊、国宝 盧舍那仏坐像、
向って右側に国宝 薬師如来立像、
向かって左側に国宝 千手観音立像が並んでいた。
公式サイトの紹介によると、
『伽藍と名宝 金堂 (国宝 奈良時代・8世紀後半 寄棟造・本瓦葺)
南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂は、
8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。
外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、
奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、
軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、
その建立年代を示しています。
堂内は、連子窓から取り入れられた柔らかな光に満たされ、
中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、
左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、
天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。』とのこと。
国宝の講堂と
奥に鼓楼(ころう)と礼堂(らいどう)。
桜。
国宝の宝蔵(校倉、寄棟造、本瓦葺)と国宝の経蔵(校倉、寄棟造、本瓦葺)。
奈良時代(8世紀)。
開山御廟へ向かう。
開山御廟(かいざんごびょう)。
金堂。
参拝を終え、奈良での食事へ向かいます。
公式サイトの紹介によると、
『唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。
多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、
新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、
天平宝字3年(759年)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。
「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、
講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、
完成したといわれます。
現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、
貴重な伽藍となっています。』とのこと。
南大門。
正面に金堂。
世界遺産の石碑。
国宝の歴史ある金堂。
金堂には全て国宝の中央に大きな本尊、国宝 盧舍那仏坐像、
向って右側に国宝 薬師如来立像、
向かって左側に国宝 千手観音立像が並んでいた。
公式サイトの紹介によると、
『伽藍と名宝 金堂 (国宝 奈良時代・8世紀後半 寄棟造・本瓦葺)
南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂は、
8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。
外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、
奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、
軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、
その建立年代を示しています。
堂内は、連子窓から取り入れられた柔らかな光に満たされ、
中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、
左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、
天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。』とのこと。
国宝の講堂と
奥に鼓楼(ころう)と礼堂(らいどう)。
桜。
国宝の宝蔵(校倉、寄棟造、本瓦葺)と国宝の経蔵(校倉、寄棟造、本瓦葺)。
奈良時代(8世紀)。
開山御廟へ向かう。
開山御廟(かいざんごびょう)。
金堂。
参拝を終え、奈良での食事へ向かいます。